自分の

昨日保育園に送っていくと、「今日は朝ホールで遊ぶのでお支度が終わったら、室内用の靴に履き替えてホールに来てください」と言われた。

教室に行くと、別の先生がまだ来ていない子の靴を並べて待っていた。

 

ヒロトの靴はどれかな?」と言いながら3人で探す。確かおさがりで貰ったブルーっぽいのだったような。ヒロトはさっきから茶色の靴を離さない。

「ヒロ君の探してごらん」と私、先生は1足1足名前をチェック。でも見つからない。「あれ??」最後にヒロト君の持ってる茶色の靴の名前を見てみると、なんとヒロト君の名前がありました。知らなかったのはパパの方。何となく自慢気なヒロトと先生。

 

ヒロト君はとっくに自分の靴を知っていたんです。またまた成長を感じた私でした。

 

ただその後ホールに行って更に感心する出来事が。既にホールにいる子達は車のおもちゃに乗って遊んでいたのだが、そのうち一人の女の子が我々を見つけるなり車を降りてまだ誰も使ってない別の車の方へ。その車のイスを激しく指差すのだ。どうやら「この車で遊んで」と言っているのだ。その仕草の可愛らしさと、優しさのようなものに触れ軽い感動を覚えてしまった。

 

しかも実はその子は耳が聞こえないのだ。「耳が聞こえない子なのに」とか、そう言った見方をするのがいけない事なのはわかるけど、やっぱりそう思ってしまった。ヒロトには心のバリアフリーな子に育って欲しいと思った。そういう環境があるのだから。